インタビュー

浪江から世界を変える―地域が育てる研究機関「F-REI」が描く未来【木村直人さん】

福島県浪江町に本部を置き、地域に根ざした研究の拠点を目指す「福島国際研究教育機構(F-REI)」。その立ち上げから携わり、執行役として組織の舵を取る木村直人さんは、「研究の成果を地域の未来に還元したい」と語ります。未踏のチャレンジに挑むF-REIが描くこれからの姿とは。そして、浪江という土地で研究者たちとどのように歩んでいくのか。木村さんに、その思いや展望を伺いました。

木村直人(きむら・なおひと)福島国際研究教育機構(F-REI)執行役。東京大学理学部化学科卒業後、コロンビア大学で行政管理学修士(MPA)を取得。文部科学省審議官などを経て、2023年よりF-REI理事として運営を統括。2025年より現職。浪江町を拠点に、地域に根ざした新しい研究機関のあり方を模索しながら、科学技術を通じて地域課題の解決と持続可能な発展に取り組んでいる。

F-REIは「みんなに育ててもらう研究機関」

画像:相馬LIKERS

―まずは福島国際研究教育機構(F-REI)についてお伺いできればと思います。F-REIを一言で言うなら、どのように表現されますか。

一般的な研究所では、研究者が自身の興味関心に基づいて研究し、論文を発表するというスタイルが多いと思います。でもF-REIは少し違って、地域の方々が抱える課題に向き合い、科学技術の力で少しでも役立てるような取り組みを目指す組織です。

「自分のやりたいこと」ではなく、「この地域の復興と再生のために何ができるか」という視点を第一に研究に取り組むことが、F-REIの大きな特徴。成果を出すだけではなく、それをきちんと“かたち”にすることが求められるんですよね。そのためには、地域との連携がなくてはなりません。

F-REIを一言で表すと「みんなに育ててもらう研究機関」でしょうね。F-REIと一緒に何かをやりたい、と思ってもらえるような関係を築いていきたいんです。

「ここに住んでいて良かった」と思ってもらえるような地域にしたいし、その下支えを自分たちの技術で担いたい。地域の役に立ちたいという思いを持った研究者が集う研究機関でありたいと思っています。

F-REIサイエンスラボでの一枚
画像:福島国際研究教育機構

―研究機関をゼロから作り上げていく中で、最も大変だったことは何でしょうか。

新しい研究機関をゼロからつくるのは本当に大変なんですよ。お手本になるようなものがなく、むしろ従来のやり方を踏襲しては意味がない。これまでの常識をすべて取っ払う必要がありましたし、今までの知識や経験が邪魔になってしまうこともある……。

本当に地域に必要なことは何か、自分たちがやるべきことは何かを、根本から考え直す必要がありました。「大都市じゃないとできない」「日本では不可能だ」と思い込んで、これまで諦めていたこともたくさんあったと思います。そんな壁をぶち破って、ひたすらトライし続けるしかない日々でした。

2025年大阪・関西万博 復興庁展示 100日前イベントにて
画像:福島国際研究教育機構

その中でも一番大変だったのは、未来のビジョンを描くこと。今、10年先の未来を描いたとしても、来年にはまったく状況が変わっているかもしれないじゃないですか。だから、一度決めたことを絶対に変えてはいけない、という考え方ではうまくいかないんですよ。

普段から職員にも伝えているのですが「ルールは守らないといけないが、時にはルールのほうを変えなければならないこともある」、と。大事な柱は守りながら、どんどん柔軟に変わっていける研究機関でありたいと思います。

今では少しずつ未来を見据えた動きができるようになってきていて、組織としての成長を感じています。職員のマインドも良い方向に変わってきていて、「人と違うことをしてもいいんだ」「思ったことは素直に口にしていいんだ」とか、そういった風土が根づき始めているのが嬉しいですね。

みんなが生き生きと働ける環境をつくっていけば、組織自体も生き生きしてくると思います。

“F-REIの木村”という肩書きだけで見られたくはない

F-REIのイベントにて仮装で登壇する木村さん
画像:福島国際研究教育機構

―ここからは、木村さんご自身にフォーカスしてお話をお伺いできればと思います。F-REIの立ち上げに関わることになった経緯について教えてください。

もともと文部科学省審議官を務めており、震災当時は原子力施設の担当としてIAEA(国際原子力機関)との情報共有にも関わっていました。その後、郡山市で医療機器産業の振興や、福島イノベーション・コースト構想の初期段階にも携わってきました。

そんな中で研究所の立ち上げの話をいただいた時は、「まさか自分に声がかかるなんて」と驚きましたね。でも、国の研究所をゼロから立ち上げるなんてめったに経験できることではないじゃないですか。こんなチャンスはなかなか無いと思い、F-REIの立ち上げと共に浪江の地に飛び込むことを決めました。

―あらためて浪江町の土地や人に対する印象や、関わっていく中での発見などがありましたら教えてください。

最初の頃は「F-REIって何をするところなんだろう」と、遠巻きに見ていた方もいたと思います。謎の団体が突然やってきたぞ、みたいな(笑)

でも、地元の飲み屋などで皆さんとお話をするうちに、「F-REIにこんなことやってほしい」「一緒に何かやれたらいいね」と声をかけてもらえるようになりました。着実にF-REIへの見方が変わっていった実感がありましたね。

F-REI主催のシンポジウムや出前授業などもおこなっていますが、それ以外に、地域のイベントにも積極的に参加しています。ハロウィンのイベントでは、某人気キャラクターの着ぐるみを着て参加したこともありました。


F-REIのイベントにて仮装で登壇する木村さん
画像:福島国際研究教育機構

地域の方には、できるだけ“F-REIの木村さん”として見られたくないんですよ。ただの“木村さん”として接してもらいたい。肩書きに縛られず、人と人としての関わりを大切にしたいんです。単純に「この人と話すのが楽しい」と思ってもらえたほうがいいじゃないですか。

そういう関係性があるからこそ、新しいアイデアが生まれてくると思っています。お酒を飲みながら他愛もない話をしている中で、ふと面白い企画が生まれることもありますし。

世界を変えるような研究を形にするために


F-REIイメージパース
画像:福島国際研究教育機構

―F-REIとして今後の展望を教えてください。

これから5年、10年と時間が経つ中で、500人規模の研究者・技術者が活躍できるような研究機関にしていけたらと考えています。そうなれば地域に与えるインパクトも、さらに大きくなると思います。

ただ大きな組織にしたいというわけではなく、地域に根ざした、頼れる存在でありたい。困ったことや気になることを気軽に相談できて、一緒に解決していけるような関係を築いていきたいですね。

そして、この浜通りの地から新しいものを生み出したいんです。「F-REIの研究から、こんなすごい事業が始まりました」と言えるような成果を出したい。それが社会や世界に影響を与えられたら、こんなに嬉しいことはありません。

―それでは最後に、木村さんご自身が目指している今後の目標や人生の指標などがあれば教えてください。

個人的な目標でいうと、シンプルに「楽しく生きたい」、ですかね。仕事でも何でも、誰かに「やらされている」という感覚を持たないようにしたいと思っています。もちろん、嫌でもやらなければならないことや、逃れられない責任もありますが、それでも「自分がやると決めたからやる。やるからには楽しくやりたい。」という前向きな気持ちは忘れずにいたい。

プライベートでも新しい趣味に挑戦してみたいですし、切り口を変えた活動の中からのちょっとした発見や変化が、新しいアイデアに繋がることもあります。

この浪江の町で、公私ともに心の豊かさを感じながら生活することが、今の自分にとって一番の目標かもしれません。

2周年記念シンポジウムの集合写真
画像:福島国際研究教育機構

―今回のインタビューで、木村さんの地域への思いや、F-REIを通じて描く未来像について伺うことができました。浪江から始まる挑戦が、地域とともにどのように育まれていくのか。今後の活動に注目していきたいですね。

福島国際研究教育機構 (F-REI)

連載「情熱の相馬人」では、相馬のこれからを創るさまざまな人の魅力に迫ります。
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