まだ避難指示が解除されていない2014年から「地域100の課題から100のビジネスを創出する」をミッションに掲げ、小高において地域に寄り添った取り組みを推進してきた「OWB株式会社(旧・株式会社小高ワーカーズベース)」。その創業者である代表取締役・和田智行さん。小高の仕掛人である和田さんに、これまでの10年の軌跡と想い、そしてこれからの挑戦・展望についてお聞きしました。
和田智行(わだ・ともゆき)2005年に福島県南相馬市小高区へUターン。東日本大震災を経て、地元の課題解決を目的とし地域の拠点となる「株式会社小高ワーカーズベース(現・OWB株式会社)」を創業。「地域の100の課題から100のビジネスを生み出す」をミッションに掲げ、多様なスモールビジネスの立ち上げや創業支援プロジェクトなど、小高の可能性を広げる取り組みを続けている。
家族の想いとともに、小高への帰還を決断
ー11月13日に創業10周年を迎えられた「OWB株式会社(旧・株式会社小高ワーカーズベース)」ですが、震災からの避難生活を経て、戻る決断をされた背景や会社を立ち上げられたきっかけについて教えていただけますか?
そうですね。東日本大震災で僕自身被災して、6年間避難生活を送っていました。その間避難後間もない頃に、家族が「いずれ小高へ戻りたい」と意思を示したんです。当時、現地の状況は厳しいものでしたが、戻るからには何かしらのビジネスを立ち上げる必要があると考えました。
当時、多くの人がもう戻れないと考えていた理由は、仕事やお店がなく、生活の基盤が整っていなかったからです。それを解決するためのビジネスをつくり、自らの生業とすることが最善だと考えました。
小高という地域で、多様なスモールビジネスを創っていく。そこにビジョンとやりがいを感じて、小高ワーカーズベースを創業しました。
ー地域の課題はどのように見つけていったのでしょうか?決断してから徐々に地域で見つけていったのですか?
そうですね。最初から”100の課題をリストアップ”したわけではなく、実際に現地で、自分自身が課題に感じたこと、帰ろうと思ってる人が必要としていること、そういうものから形にしていきました。
ー多くの課題がある中でビジネスを始めるのは非常に挑戦的だったと思います。どのような方針でスタートされたのでしょうか?
心掛けたのは、まずは”スモールスタート”です。とにかくクイックに始めること。たとえば、避難指示区域初の食堂として2014年12月に「おだかのひるごはん」を始めたときは、最初は週3日営業でメニューも1種類だけ。大きな初期投資を避け、小さく始め、お客さんのフィードバックを得ながら改善していきました。
また、完璧を目指さず、あえて「隙」を残すことで地域の方々に関わってもらう「余白」を作ることを意識しました。最初から完璧なサービスを提供するのだと”関わりしろ”がない。常に”100点満点”の仕事ではなく、余白をつくる、”関わりしろ”をつくることが、人を巻き込むうえでは大事だと思っています。
サービスを提供する側とされる側になってしまうと、巻き込む・巻き込まないの話ではなくなってしまうので、ある意味「共犯関係」であることは、とても大事だと思います。
”クラフト感”を持ったまちづくり。小高の魅力と地域文化
ー共に創り上げていく「共犯関係」を大事にされてきたんですね。”戻る場所”としての小高でありながら、そのほかに和田さんが考える小高の魅力や地域性、特別な意味はなんですか?
小高には、地域の課題に対して自分たちでなんとかしようとする意欲の強い方が多いです。まず行動する人が多いのが、小高の魅力のひとつ。
最近では、小高の地で事業を立ち上げる人が増えてきました。提供する側とされる側ではなく、みんなが参加者になって、まちづくり自体が”クラフト感”を持って進んでるのが非常に魅力です。
個々人が自由に好きなことを始め、だからこそ地域に入りやすい側面もあるし、それが緩やかにつながり協力し合うような文化が根付いています。そこが、小高の非常に面白いところだと思います。
ーそれぞれが、思い思いに好きなことをやっているからこそ、外と内の分断ではなく、自然に溶け合うような風土・文化なんですね。
起業してる人も多いので、事業を形にしていくためにも、地域としっかりコミュニケーションを取ってお互いの理解を深め合っています。故に排他的ではないし、地域の人たちもその姿勢に共感して、応援してくれることにつながっているのかなと思います。
ー10年間の小高での活動の中で、特に印象に残っているエピソードはありますか?
たくさんあるのですが、駅前に「東町エンガワ商店」という仮設スーパーを運営したときのことです。オープン初日、地元のお父さんが涙を流して「店をつくってくれてありがとう」と言ってくださったのが忘れられません。当時、買い物できる場所がなく、多くの方にとってこの商店が生活の一部になったことを実感しました。オープンまで不安もありましたが、涙を流しながら喜んでくれたのが本当に嬉しくて、「やってよかったな」と心から思いました。
オープン後には、ボランティアや作業員の方が使ってくれたり、高校生の唯一の買い食いできる場所になったり。電車待ちの間に買い食いできるという、なんてことない日常を提供できたのは良かったですね。
”自己表現のひとつ”としての起業を支援したい
ー創業10年を経て、次の10年で取り組みたいことは何ですか?
これまで小高の課題解決に注力してきましたが、これまでやってきたことを今後は他の地域にも展開していくのが次の10年だと思っています。「小高だけが良くなればいい」と、地域単位で競争や奪い合いをするのではなく、持続可能な形で世の中全体を良くしていく必要があると感じています。
最近では、震災のあった石川県・能登半島でこれから立ち上がろうという人たちに対して、小高に来てもらったりもしています。復興のイメージがなかなか持ててなかったところから、実際に見て話を聞くことで、やっぱり希望を持って「自分もこんなことをやろう!」と帰っていく人たちもいるので、一緒に支援もいきたいです。
また色々な地方の課題を掘り下げていった時に、やっぱり突き当たるのは、”女性の生きづらさ”みたいなところが地方の根本的な課題のひとつだなと思っていて。本当は地元に残りたいけど、職業の選択肢が少なかったり、無意識な差別などがあって外に出ていく人も多いというデータもあるので、少なくともそういう女性が減るような、女性にとって魅力的な職業や場所を作ることにも取り組んでいきたいです。
僕らが小高で展開しているガラス工房「iriser-イリゼ-」はその一つで、能登でも同じモデルのガラス工房立ち上げをサポートしていますが、そんな取り組みをどんどん増やしていきたいと考えています。
ー最後に、小高に関わりたいと考えている方へのメッセージをお願いします。
僕はずっと事業を興すことを核にやってきました。社会もどんどん先行きが見通しにくくなっている中で、自分自身の力で変化を乗りこなす、変化の先に立つ力が必要になっていると思います。
小高は、変化に対応しながら新しい事業を生み出していく面白い地域です。起業というと難しく感じるかもしれませんが、自分の思いや理想を形にする「自己表現のひとつ」として捉えてほしいですね。小高ではその自己表現が可能な土壌が整いつつあります。変化を恐れず挑戦したい方にとって、魅力的な地域だと思います。
ーー和田さんのお話を通じて、小高という地域が持つ魅力や人々の想い、そして多様な自己表現が形となる背景を垣間見ることができました。OWB株式会社の挑戦が、地域を越えて広がる未来が楽しみです。
連載「情熱の相馬人」では、相馬のこれからを創るさまざまな人の魅力に迫ります。
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OWB株式会社